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コミュニティは、人々の暮らしの豊かさの源泉です。
自治組織の衰退やまちづくり組織の高齢化が進む中で、京都の大きな強みであるコミュニティをどのように再生していくべきか。また、人口減少や文化の途絶、オーバーツーリズム等の社会課題をコミュニティの力でどう克服していくべきか。
京都市では、公民の垣根を超える形で、多様なプレイヤーがコミュニティの再生を通じた価値創造に取り組んでおり、2024年9月に京都市の理想像を描く「長期ビジョン」策定プロジェクトが始動しました。
2024年10月18日(金)、QUESTIONに本テーマのキーパーソンをお迎えし、京都コミュニティの未来を語り合うトークセッションを開催しました。
登壇者(順不同・敬称略)
- 京都市長 松井孝治
- コミュニティバンク・京信 理事長 榊󠄀田隆之
- 株式会社CNC 代表取締役 矢田明子
- Slow Innovation株式会社 代表取締役CEO 野村恭彦
進行を務めるSlow Innovation株式会社の野村恭彦さんは、全てのことが「ファスト」であることの限界を感じ、東京から京都に移住。自治体の市民協働・企業協創・政策形成とつなげることで、各地域に生きた「市民協働イノベーションエコシステム」を構築することで、「地域から日本を変える」ことを目指して2019年に同社を創設。「人と人との関係性を大切にした新しい社会の形」を地域のステークホルダーとともに「ゆっくりと」進めています。
京都市長の松井孝治さんは、官僚、政治家、大学教授を経て2024年2月から京都市長を務めています。松井さんは官僚時代に阪神淡路大震災の復旧支援における地域コミュニティの底力を目の当たりにしたことから、教育や子育て、まちづくりに官だけではなく地域コミュニティが参画するという「新しい公共」を提唱。日本の行政組織を変えるべく長年取り組んできました。自治体のトップダウンで考えるのではなく京都のまちの力を改めて見直すべきとし、京都のコミュニティ再編に精力的に取り組んでいます。
株式会社CNC 代表取締役の矢田明子さんは、島根県で2016年より「コミュニティナースプロジェクト」でコミュニティナーシングの担い手の育成をスタート。地域コミュニティ全体を「ナーシングしていく」というコンセプトのもと、暮らしの身近な存在として『毎日の嬉しいや楽しい』を地域の人とともにつくり、心身の社会的な健康を目指す「コミュニティナース」の在り方を実践しています。また、各地でコミュニティナースの育成に取り組んでいます。
京都信用金庫 理事長の榊󠄀田隆之さん。京都信用金庫は、まだ社会にコミュニティという用語が根付く前の1971年に国内の金融機関として初めて「コミュニティ・バンク」を宣言。この理念を発展させるべく、2023年に「コミュニティ・バンク京信」というブランドネームを制定しました。「お金で繋がる関係ではなく、共感で繋がる関係を作っていくのがコミュニティの価値であり、これからの信用金庫のあるべき姿である」とし、従来の金融機関の店舗の常識を覆す共創施設「QUESTION」を立ち上げ、従来の金融機関と一線を画す21世紀の金融を実践しています。
それぞれの分野でコミュニティづくりに尽力する4名の登壇者が、ご自身の取り組みをもとに地域におけるコミュニティ再構築の重要性、行政とコミュニティの関係等について熱く語り合ったセッションの内容をお届けします。
野村:ファストファッション、ファストフードのように、いろんなものにファストがつくかと思いますけれども、ゴールを決めてそこに向かって最短距離で進む、つまりコスパもタイパも良いアプローチで進むと、行ける先が限られるんです。各地が地方創生を推進した結果、いろんな地域が似てきていると思うんですが、それは「わかっている未来」に行こうと思うと、どうしても他の成功例を真似したくなってしまうからだと思います。
今日のテーマである「2050年の京都のコミュニティの未来」を考えたとき、ほんとうにその地域らしいものを作ろうと思ったら、一人ひとりが自分はどうしたいか、どんな暮らしや仕事がしたいのか、どんな人たちとどんなコミュニティを作りたいのか、自分の心の声をみんなが聞き、周りの人の声を聞き合うことが大切です。
松井:京都はコミュニティ・スクール(※)の設置率が100%です。というのも、京都はすでに明治2年に「番組小学校」という地域の人が財産を出し合いながら地元の教育を作っていくという取り組みを始めていて、地域の人たちが学校をかすがいにして子育てや防犯活動といった地域のことを考えるということをいちはやく行っていたんですね。
(※)学校と地域住民等が力を合わせて学校の運営に取り組むべく、保護者や地域住民から成る学校運営協議会が、合議体として、一定の法令上の権限を持って学校運営に関与する制度。また学校運営協議会が設置された学校のこと。
松井:私は官房副長官を務めていた2010年に「新しい公共」円卓会議を立ち上げたんですが、私の発想は、そういうことをもっと全国展開できないか。つまり我々がやるべきことは、政府や自治体の主導で問題を解決しようとするのではなくて、そのプラットフォームを作って縮小しつつある家族機能を代替する社会的な機能をコミュニティに持ってもらうべきではないか、というものです。京都のまちづくり、あるいは国づくりをどう考えるかというとき、それが私の考えのベースにあります。
いま京都市は「2050年の京都」という長期構想を議論していますが、京都という「まちがら」をもう一回見直そうじゃないかと思うんです。京都というまちに国籍も含め多様な人材や事業者を集めて、それが混ざり合って長年の文化をイノベーティブに変え、新しいものをどうやって作っていくのか。従来のコミュニティがバラバラになりつつあるなか、まだ京都にはコミュニティの力が残っているので、どうやってそのコミュニティを再編するのかが私の課題です。
榊󠄀田:21世紀の金融は、お金を融通するという装置ではなく、人と人とを有機的に繋いで地域を発展させていく場となるべきです。そういうクリエイティブでイノベーションが起こりやすい場所があるまちをつくるためには、金融機関の店舗から見直さないといけない。
そこでQUESTIONでは、1階にあったバンキングフロアを上階に置いて、誰でも入れるカフェや地域の方が使っていただけるスペースを設けたんです。ビルの最上階にはコミュニティキッチンを作りました。堅苦しい会議をするよりも一緒に調理する時間を過ごすことのほうがコミュニティの原点であり、コミュニケーションに有効だということを信じてのことです。我々は、「対話し、気づき、共感する」という、ヒューマンな連鎖がこれからの課題満載な社会においては大事だと思っています。
矢田:コミュニティナースとは、看護師という資格というよりは、地域コミュニティ全体を「ナーシングしていく」というコンセプトとして使っています。具体的には、自分の家と職場以外の行きつけの飲食店とか立ち寄るコンビニとか、自然な形で顔見知りになれる「暮らしの導線」を見つけ出して、コミュニティナースのトレーニングをした人に居てもらって、顔見知りの関係を作っていきます。そういう関係を作っていくと、雑談の中からその人にとって元気が湧いてくるポイントが見えてくるんです。そしてその方が社会や地域の方と関わりを持てるように、他の方と繋いでいく。こんなふうに誰かが誰かの元気のきっかけになっていくような相互のネットワークを作っています。
野村:新しい公共やコミュニティ・バンク、コミュニティナースといったことを今までの資本主義社会のシステムの中で話すと、「ビジネスとして成り立つのか」という話ばかりになる。何でも損得、あるいはビジネスモデルで説明できないと理解した気になれない。これが我々の一つの病だと思うんですよね。今回はそういった制約を取り払って、理想のコミュニティとは一体どういうものかという点について話し合いたいです。まずは矢田さんから、コミュニティナースの先にある社会についてお話しいただけますか。
矢田:コミュニティナースについて、「ボランティアでやるんですか」、「民生委員と何が違うんですか」と言われることもあります。でも誰かが喜びをもって人を助けるような人間関係ってお金を積んでも持てない、めちゃくちゃ価値あるものだと思うんですよね。こういう関係って日本中に眠ってるはずです。日本人みんなが自分の良さや喜びをもって誰かに手を差し伸べられるし、そうあることをちゃんと肯定してもらえるし、そのほうがちゃんと儲かっていく。私自身は、それぞれが誰かのコミュニティナースのような関わり方をしている「1億総コミュニティナース社会」、そういう未来を描いています。
野村:不思議なもので、みなさん矢田さんの話を聞いて嫌だなって思う人はあまりいなくて、自分もそうなれるよって思えるんですよ。でも他の人はどうかな、難しいんじゃないかっていう。気持ちが変わっていく人の特徴ってあるんでしょうか。こういう考えに触れると人は変われるんでしょうか。
矢田:ちゃんと相手の意見を聞いてから、こっちの意見を伝えてみると、本人の中から関心が生まれてきて「面白いね」って言ってくださる方は必ずいる。変わっていく人の特徴というよりは、その人と向き合う側の人間がどういう姿勢なのかが影響するんじゃないかなと思います。
榊󠄀田:矢田さんのお話で思うのは「聞き上手」ですね。心は理屈では開かないんです。たとえば、相手が銀行員だからって命の次に大事なお金、財産の話をしますか? 初めて会った人にはしたくないでしょう。そうじゃなくて、雑談から始めて「この人、何となくうまが合う」となり、3、4回話してようやく「ちょっとうちの家族のことを話してみようかな」となる。どんな商売でも鉄則です。
でも時間軸がそれを許さないんですよ。要するに今日の売り上げとか、明日の成果ばかりを追求してしまう。中長期的なゆとりをなくしてしまっています。でも今日のことだけ考えるようなこれまでの20世紀型の正解は、実は21世紀ではほとんど不正解。それに気づけずに経営者が従来型をトップダウンで押し付けたら、社員さんもお客さんもついてこない、そういう時代が始まっていると思っています。
野村:もし京信の職員の皆さんがコミュニティナーシングを身につけていれば、その人が触れ合った相手にも影響を与えていくわけですよね。京信さんがコミュニティ・バンクに変わると、京信さんが触れ合った先の市民や民間企業の方々もパラダイムが変わる可能性がある。
矢田:地域に根付いてる方がナーシングすることはすごく価値があると思います。しかもファイナンスのこともできるので、可能性を引き出す先が無限ですよね。地元のこういう機関の方がコミュニティに入り込んでコミュニケーションを取っておられるっていうのは、コミュニティにとってものすごく価値だと思いますし、勤めている人の誇りにもなるんじゃないでしょうか。
榊󠄀田:我々は「おせっかいバンカー」という言葉を使っていますが、自らおせっかいを焼いて人と人とを繋げていくぐらいの情熱のある人でないと、この仕事は務まらないと思っています。全てのゴールを自分で考えて、お客様の喜びの声に集中する。私はこれからの金融は人を繋げるコミュニティマネージャー、いわゆるおせっかいを焼く仕事だけが残ると思っています。我々は、お昼で一旦窓口営業を終わらせていただいて、昼からは全員がコミュニティナース的な仕事、地域の問いに向き合う時間に充てようという取り組みを始めて、今21店舗で実践しています。
野村:松井市長、こういったコミュニティナーシングの力をフルに活用すると、今までの行政のやり方はどんなふうに変わっていくんでしょうか。
松井:お二人のような存在は私が役所に入った1983年はほとんどなかったです。ものすごく社会が変化しているんだと思います。政治の役割は不幸をミニマムにすることで、いろんな不幸や問題を分野ごとに部署を決めて、税金を原資にして対策を打つっていうことをやってきたのが日本の省庁体制で、日本だけじゃなくて他の国も大なり小なりそういう体制を作ってきた。でも今はコミュニティナースという形でその地域を元気づけようじゃないかっていう人たちが出てきたり、コミュニティを結びつけてその地域のいろんな事業者にやる気を起こさせようじゃないかっていう人たちが出てきた。だから、ぜんぶ役所が考えるんじゃなくて、もっと上手にこういう方々の意欲を活用していきたい。
松井:僕がいつも言うのは、図書館を作るにしても公園を作るにしても、行政が勝手に決めるんじゃなくて、人々にとってより豊かな、生きがいを作れる場所を作ろうよ、ということ。市役所の職員と議会だけが考えるんじゃなくて、お二人のような人たちを一緒に行政に巻き込んでいく。
例えば、土日に学校を開けるとなると「学校で何か起こったら問題になるから」と、学校の先生方が必ず出勤して鍵を開けて管理しなければいけない。だけどその鍵を託せる人をたくさん作る仕組みを持っていれば、その人たちに鍵を渡すことができて、その人たちに学校という場を教育以外の地域活動に使っていただける。法律によって決められた領域を柔軟にして、お二人のような方に信頼して任せてみるっていう発想を作れないかと私はずっと考えています。
野村:今ある公の仕事を単に市民とシェアすることを超えて、新しいものを作るときにどうやって行政が余白を作って、そこにみんなが知恵を出していくかというところがもう一つのポイントじゃないかなと思います。僕はずっと、行政が自分たちのやるべきと思っているところをもっともっとオープンにしていったらいいなって思っているんですけど、どうすればもっと新しいものを作っていけると思われますか。
榊󠄀田:先駆者の例でいうと、北欧では政府と市民の距離がもっと近い。それは様々な場面で対話をする場や意見を言って、みんなが社会に参画できる機会をあえて作って、みんなでまちを大事にしようという考えがあるからです。
京都でも仕組みをもうちょっと整えたらもっとできると思います。熱い思いを持った人をこの指とまれ方式で集めてプロジェクトベースで任せていく。そのときのキーワードは公共の利益。市役所の方は主催ではなく一人のステークホルダーとして参画する。そういう場があって、熱量のある方が寄ってたかって取り組む。そうやってみんなの京都に対する愛着や自治への思いが高まっていけば、たとえばまちにゴミを捨てなくなるとかね、急にはうまくいかないですけど、100年後には京都はみんなが自分のまちを大切にするようになるんじゃないでしょうか。
松井:要するに自分の家だと思ったらゴミを捨てませんよね。まちをよそだと思うから、汚すってことです。ただ、最近は夜の商店街もけっこう綺麗ですよね。お三方のようにまちの皆さんの意識が確実に変わっているんです。今は問題があったら指摘や批判を受けてしまうからと、行政みんなが守りに入っているところがありますが、これからは信頼して任せていくことも大事ですね。
野村:矢田さん、今日の議論を踏まえて、京都の強みを生かしたコミュニティの理想像について何かメッセージをいただけますか。
矢田:12年前に私と一緒にコミュニティナースの活動を始めた同級生が今日来てくださっているんですけど、彼女は京都で保健師になっているんです。京都ってそういう各地方の非常に優秀な人材が集まってるまちだと思うんです。彼女、島根からすると本当に失いたくなかったような人材ですよ。そういう人がガバメントの中にいることって、京都にとってすごいポテンシャルです。お二人のお話は、そういう人を2050年に向かってどう活かしていこうかという議論に聞こえました。お話を聞いていて、できたら面白そうだなと思ったのは、江戸時代の「連」(※)のようにいろんなコミュニティに属していて、そういう多面性があることを前提とした働き方や兼業みたいなものを試してみてはどうかな、と。
(※)江戸時代の都市部で発達した、俳諧、浮世絵、狂歌、蘭学などの共通の趣味や関心を持った人々が身分を超えて集まった文化・経済のコミュニティ。
「連」的勤務みたいなことを。ひとつの区役所からでもいいから思い切ってやられたら、ポテンシャルのある人材たちならきっと自然と発露してくれるはずなんですよ。榊田さんがおっしゃっていた、場に集まろうよって言ったときの活路も全然変わってくると思います。
ここで、トークセッションの参加者が「2050年の京都のコミュニティの理想像」を自由に語りあい、京都市の長期ビジョン(仮称)の策定に向けた意見募集・情報発信WEBサイト 「みんなの理想京 ideal Kyoto」にインプットしました。
「寝たきりになっても若者の活動に参加したい」「市電でどこでも行ける街がいい」
「自分が情熱を持ってやりたいことを声にする」「死ぬまで仲良く過ごせるコミュニティ」
など、さまざまな意見が集まりました。
野村:この意見は全て京都市役所の長期ビジョン策定の議論の中に反映されます。ただ、これを誰か他人がやるのではなくて、言い出した本人がチャレンジできるような環境を作っていくというのが松井さんのやりたいことなのかなと思います。
松井:「どこかで誰かが勝手に作った総合計画で、自分たちの生活と関係ない」と思わないでほしいですね。今日のこの場のように、出入り自由でオープンな議論をできる場を作りましょう。皆さんに声は必ず何らかの形で影響します。全部取り入れることはできないけど、一つひとつの声に僕らはちゃんと目を通すし、それを頭の中のどこかに残してビジョンを作っていきたい。
そして多くの人の出番を作りたいから、公務員だけが行政のメニューを作るんじゃなくて、皆さんのアイディアを聞きたい。だから京都市では成長戦略推進アドバイザーや地域コーディネーターみたいな人たちをどんどん増やしていこうと思っているし、そういう人たちと市役所の職員、区役所の職員が対等に議論できるようにしたい。
「お客様は神様です」的考えで疲弊しちゃったら、クリエイティブなサービスはできない。職員一人ひとりが「こういう議論をするために自分は市役所に入ったんだ」と思えるような市役所を作りたいし、「この人たちと議論するの楽しい」って皆さんが思える役所を作っていきたい。公務員であるかないかの垣根をできるだけ下げていきたいです。
野村:今日この場に来た方はそれが伝わったと思います。皆さんがコミュニティナースのようにいろんな仕事の現場でコミュニティの結節点になっていく姿が想像できます。例えば区役所の人たちが窓口に来た人たちに「あなたの話を聞かせてくれ」っていうようになるんですよね。
松井:そういう好循環をできるだけ作っていきたいですね。職員が元気になって、皆さんとフランクに話せるような時間をどう作っていくかも含めて、デジタルを使いながら職員がクリエイティブなことに多くの時間を割けるようにするのも僕の仕事です。
榊󠄀田:2050年の京都がどうなっているか。共通テーマはこれぐらい曖昧なものからスタートして、それに対してみんなで考える。これでいいと思うんですよ。本音で語り合えて、京都市の行政に反映される、そういう心理的安全性が担保されたダイアログ(対話)の場としてのタウンミーティングとかプロジェクトを、恐れずに公募型でやってみる。そのうちの5人ぐらいは京都市役所の方から公募という形で。忙しくても、やりたいことや得意な分野には手をあげたいもの。やり切ったときに、自らの成長を実感できる場になりますから。
最初は誰も手を挙げないでしょう。でも諦めずに続けたら、アーリーアダプター(新しいアイデアやサービスをいち早く取り入れる人)が現れる。それが2050年の京都市を作る最初の一歩になるのかもしれない。
矢田:今日聞いた「自治」っていうキーワード、要は「一人ひとりが」ってことですよね。私の立場から言えるのは、一人ひとりと向き合ってコミュニケーションを取ることを諦めないこと。私たちもコミュニティナースとしてこれからも京都と関わらせてもらいたいし、皆さんとも考えたいし、現場にも立ちたいって改めて思いました。
野村:皆さん、今日はどうもありがとうございます。今日のプロセス全体がコミュニティナーシングで進んでいくことを実感できた1日でした。今日はこの運動の始まりで、今日で終わりなものは何もありません。意見募集サイトもずっとオープンしていますので、書き込んでいただいてもいいですし、担当する京都市役所の職員も、QUESTIONのコミュニティマネージャーもいつでもお待ちしています。
今回のトークセッションでご紹介した、意見募集・情報発信WEBサイト 「みんなの理想京 ideal Kyoto」では、引き続き意見募集を行っています。
ぜひ皆さんもご一緒に「2050年の京都コミュニティの未来」について考えてみませんか?